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グリーフワーク・かがわ設立記念 講演とシンポジウム 病と家族−愛する人との別れ

第1部 グリーフワーク・かがわ設立記念講演
テーマ 「喪失と心の過程」
講師 杉山洋子(グリーフワーク・かがわ代表)

 かけがえのない対象を失った、あるいは失うかもしれないとき、その現実を心の中で受け入れ、「断念」できるようになる心の過程をグリーフワークという。いのちさえコントロールできるような錯覚に陥り、万能感に酔っている現代の私たちは、対象喪失の心の準備が出来ていない。時間の流れ、いのちの有限性のまえでは、人は無力な存在であることに気づき、悲しみを悲しむことのできるちからを回復させたとき、人格の成熟が達成されていく。そしてその心の過程で得られたことこそ、失った対象が残してくれた遺産である。
  〜朗読した本:「わすれられないおくりもの」〜
            スーザン・バーレイ 作・絵、小川仁央 訳 評論社

第2部 シンポジウム
テーマ 「病と家族−愛する人との別れ−」
コーディネーター: 花岡正憲(グリーフワーク・かがわ、ゆりのき診療室)

 私たちは、日常生活でさまざまな喪失体験をする。なかでも配偶者や子どもとの死別は最もつらい体験である。また、不治の病や突然の別れは、大きな喪失となる。このような喪失にみまわれた時、家族が喪失を嘆き悲しむこと、すなわちグリーフワーク(悲嘆の作業)は、自然な心の過程であり、したがってグリーフワークが適切に行われることが大切であるといえる。
 しかし、人が年をとることや死ぬことから目をそむける社会では、グリーフワークについて理解している人たちは決して多くないといえる。さらに、グリーフワークが、人それぞれの一定の時間がかかる正常なプロセスであることを知っている人、あるいはどこかでそのことを教えられたことがある人となると、きわめて限られてくるのではないか。
 私たちの社会では、こうした心の営みへの社会全体としての理解や取り組みは、充分とはいえないのが現状であろう。そうしたなかで、遺族は喪失感が速やかに、かつ自然におさまっていくことを期待するが、そうでないときには、こうした社会では遺族がそれに前向きに取り組むことが難しくなる。
 2002年の12月には、自殺者数が増加するなかでグリーフワーク・かがわの前身でもあるグリーフワーク研究会が、グリーフワークが自殺予防にどのように関与できるのか、また、実際に自殺がおきてしまった時のグリーフワークの役割などについて考えるシンポジウムを持った。
 今回は、特に「病と家族」を中心にすえ、愛する人との別れと悲哀の心理過程、そこに見えてくる地域社会の姿、これからの私たちの課題、さらにそのグリーフワークとその支援のあり方などについて、ともに考えてみたい。

阿守優美(SIDS−乳幼児突然死症候群―家族の会)「子どもを失うということ」
1) SIDS家族の会活動のきっかけ
平成11年に子どもを亡くす。解剖の結果、SIDSと告げられる(20年前に実母を亡くした時と違った感情があった)。
泣く毎日であったが、友だちからSIDSの会の話があることを知らされ参加。
2) ビフレンダーとしての活動
ビフレンダーとして活動していくなかで自分のグリーフワークができているのではないか
と気づく。家族の協力も必要である。
3) 「聴く」ことの難しさ
人からの励ましのことばに逆に傷ついてしまう(そういう事実があることを知ってほしい)。
4) SIDS家族の会の活動を通して
たくさんの知人ができ、自分も人間的に成長できたと思う。また、子どもが産まれてきたわけ、亡くなっていった理由が少しずつ分かってきたと思う。

平野艶子(配偶者との死別体験者―ケアギバーの立場から)「病で伴侶を失うということ」
1) 56年3ヶ月間一緒に暮らした夫との別れ。最後はいい別れであったと思う。
2) 20年間、狭心症・心筋梗塞という病と共存した(7年の間、9回CCUで治療を受ける)。苦しんだのは最期の3日間だけであった。発作の対応は家族全員が協力、連携して病院に駆けつけていた。
3) 夫の看病にあたり、常に「ことば」を大切に生きてきた。夫は静かな闘病生活を送っていた。そこには常に家族の協力があった。
4) 夫の死を通して、家族の絆が深まったと思う。現在も月命日には家族全員がそろって仏参りをしている。また同じ立場の方と話す機会をもつことができた。

三好 史(三豊総合病院 臨床心理士)「ターミナルケアの現場から(1)」
1) 臨床心理士の役割のあいまいさ 〜臨床心理士に期待されていると感じること〜
患者へのカウンセリング
家族へのカウンセリング
スタッフの巻き込まれ感、無力感などのケア
患者とスタッフとの橋渡し
医師と看護師との橋渡し
家族、スタッフなど患者を取り巻く人々の調整
2) ターミナルケアにおける課題
緩和ケア医や臨床心理士が患者や家族に関わる時期
緩和ケア病棟への転棟のタイミング
緩和ケア病棟のイメージ
3) 疑問に思うこと
誰の立場で誰が治療の選択をするのか?
誰が誰に何を伝えることが告知なのか?
4) グリーフワーク・かがわに期待すること
スタッフの無力感、喪失体験等へのケアや研修
臨床心理士との連携

朝日俊彦(香川県立中央病院泌尿器科主任部長)「ターミナルケアの現場から(2)」
  1) 経済的なバックアップが得られない
2) 日本の文化と伝統
3) 北米のホスピス事情
4) ホスピスにおけるボランティアの活躍
5) 死というものについての学び
6) 納得の医療
7) そのためのインフォームド・コンセント
8) 生きるとか死ぬことについて、家族間での話し合い
9) 急性期病院の現場では、終末期のケアは難しい
 10)  家族に対するケアの不足
11) 日本のホスピス事情
12) 香川県のホスピス事情
13) 遺族との交流会を持ちました
14) 放置されている遺族
15) 死を学び、死別を見直す
16) 直すことをあきらめる
17) よきお別れを演出するための関わり
18) ハッピーエンドとは
19) よい雰囲気での別れ
20) 死期を悟るということ
21) 死ぬ準備を家族とともに行う
22) 思い出に残る患者さん
23) 人生の優先課題をはっきりさせる
24) 死ぬことを決めることで、自由になる
25) 大往生するために
26) 家族との話し合い
27) おわりに

磯谷佐代(グリーフワーク・かがわ)「グリーフケアの立場から」
1) グリーフワークかがわに参加した動機
3年前に叔父を亡くした。その時、叔母に対し自分がどのように声をかけていいのか分からなかった。叔母の連絡が重荷に感じ、避けていた私。私はどうすればよかったのだろう。人のつらい悲しみの感情を受け止められるようなそんな大きな存在になりたいと思った。
2) グリーフワークのボランティア講座に参加したことによる気づき
社会人からの大学進学。
講座に参加し、自分が気づかないうちにたくさんの喪失体験をしていることを知る。喪失とはとても辛い覚悟を必要とするが、自分自身を大きく変えるチャンスであると考える。
3) 現在の活動
グリーフワーク・かがわでは広報担当。多くの方との交流を持てる機会がある。
4) 課題
悲しみに寄り添い、素直に耳を傾けることができるのは、専門職の方よりも私たち市民ではないか。なかなかことばで表現できない方や感情を押し殺して耐えている方に気づき、声をかけるチャンスが多いのは私たち市民だと考える。
悲しみや苦しみを抱えている方に対し、一緒になって解決できる力が出てくるのを「待つ」こと、「ありのままを受け入れる」ことが私たちにできることだと思う。お互いに助け合い、支えあい、何かに気づくことが大切。
「ことば」を大切にすることが、相手を大切にすることであり、自分を大切にすることにつながっていくと思う。


パネラーの意見交換・質疑応答

Q1) コーディネーター:一般病棟の中でターミナルケアを受けることは可能か?
A)三好・・・ (1)スタッフの人数の限界 (2)部屋が大部屋である(プライバシーが守られない) (3)スタッフ間のカンファレンスが充分ではない
緩和ケア病棟でのケアは手厚い。一般病棟ではなかなか難しい課題があるのではないか。
A)朝日・・・ 各病院が急性期・慢性期の2分化(厚生労働省の方針)
病院自身の経営の限界を強いられている状況がある。
死に近い人にとって「あたたかいケア」とは?見送る人にもあたたかいケアを。
香川県に緩和ケア病棟や安心して死ぬことのできる環境を作っていく必要がある。

Q2) コーディネーター:身近な人を亡くされた後、誰かに自分の心境を語りたかったことはあるのか?また、語ったことはあるのか?
A)平野・・・ 長い闘病生活の中で、家族全員が「どうせ死ぬなら好きなことをしよう」という意思の統一ができていたのではないかと思う。また信頼できる病院、医師との出会いが、夫が亡くなった後の私を支えてくれた。また、夫が亡くなってから家族がひとつにまとまったと思う。家族を大切にしようと思っている。
A)阿守・・・ SIDSの会を知って連絡をして話しをきいてもらった。それまでは自分を責めることや夜になると泣いてしまう状況が続いていた。
A)磯谷・・・ 叔父が亡くなった1年後に叔母と再会。叔母はグリーフワークの団体に参加し、前向きに生きている様子で逆に励まされた。

Q3) 女性:香川県にホスピスの病院はいくつありますか?
A)朝日・・・ 香川県には、三豊総合病院の12床。
高知県には市内だけでも5つの病院がある。
現在、高松市内に作る予定はない。

Q4) 開業医(高松市内男性):在宅医療に従事しているものとしての意見。
がんの場合は、早期からその段階において適切な治療が必要とされている。特にターミナル期には自分がどう生き抜くのかを選ぶ時代になっている。市民一人ひとりが自分の主治医を見つけていくことが大切である。信頼する主治医を見つけることで何を選択するのか適切なアドバイスを受けることも可能ではないか。
高松にホスピス病棟が増えないことに対してその隙間を開業医がうめている現状がある。勤務医の医師にも在宅を積極的にやっている開業医のことを知って欲しい。それが患者の、市民の選択の中に「在宅」が増えることにつながっていくと思う。これからの課題はたくさんあると思われるが・・・。

コーディネーター・・・ ニーズをもった利用者(患者・市民)が声をあげていくことが大切です。

Q5) 患者の家族(女性):平成元年アルツハイマーの祖母を自宅で看取ったものとしての意見。
祖母の最期を自宅で看取れたことは私のなかではとても良いことであった。何故在宅で看取ることができたのか、それは主治医、近医の十分な理解があったからだと思う。主治医は自宅へ帰ることを相談すると賛成してくれ、近医はいつでも訪問をすることを約束してくれたことは安心につながった。また、在宅を選んだことにより家族の絆が強まったと思われる。

Q6) 病院勤務 臨床心理士(女性):グリーフワーク・かがわに期待すること。
こころのケア(グリーフケア)を必要としている人に対して、病院には臨床心理士がいるがいったん病院を離れた場合には誰がその役割を担うのか。その役割は市民ではないかと思う。グリーフケアを必要とする人が適切な支援を受けるためには、グリーフワーカーの養成研修が必要。この会の役割のひとつとして人材養成を是非してほしい。

Q7) いのちの電話(女性):臨床心理士へ質問。一般病棟から緩和ケア病棟への転棟のタイミングは難しいといっていたが、実際はどういう状況か?患者さんは納得した上で転棟しているのか?
A)三好・・・ 充分に納得した上で緩和ケア病棟へ転棟しているとは言えない。転棟後も患者さん自身が状況を受け留められているとは言いがたいケースもある。ターミナル期の患者さんに対しては一般病棟に入院しているときから「疼痛コントロールする医師」として緩和ケア病棟の医師に関わっていただくケースもある。


シンポジウムのまとめ

杉山:
今回、グリーフワーク・かがわ設立記念に当たって、シンポジウムを設けた。スタート地点に立ったところであるとも言える。市民と専門家がともにこの会を育んでほしいと思う。どのように死を迎えるか、死が近づいた時、家族はどのように、何を選択していくのかを一人ひとりが考えなければならない。「死」をタブー視せず、わたしたちが生活の中で話題に挙げていくことに意味がある。何かを動かしていくのは体験者自身、グリーフワークかがわに是非参加され、声をあげていただきたい。

コーディネーター:
グリーフには正しいグリーフもなければ、まちがったグリーフもない。人は、宗教、文化、社会、個人的信条によって、あるいは亡くなった人との関係にしたがって、それぞれの姿でグリーフを体験する。わたしたちの喪失を理解してくれる人を見出すことはとても大切である。それは、友人かもしれないし、家族かもしれない。あるいは病院スタッフであったり、臨床心理士や精神科医であったり、聖職者かもしれない。また支援グループかもしれない。グリーフのプロセスを完了するには一定の時間がかかる。人によっては長い時間がかかることもある。したがって、まず、わたしたち自身が自分のグリーフワークの機会を認めることに寛容であることが求められる。グリーフワークかがわに是非参加いただきたい。


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