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理事長メッセージ

かつて精神科医の故小此木啓吾氏は,その著書「対象喪失」(1979年 中央公論社刊)の中で現代社会への強い危機感について触れ,以下のように述べています。「戦争と敗戦によるおびただしい喪失と悲嘆のどん底から出発したはずの現代社会は,いつのまにか,悲しむことをその精神生活から排除してしまった」「対象喪失経験は,メカニックに物的に処理されていく。対象を失った人びとは,悲しむことを知らないために,いたずらに困惑し,不安におびえ,絶望にうちひしがれ,ひいては自己自身までも喪失してしまう」

2000年,ひとりの保健師が地域保健の実践の中で,喪失に対する無理解な対応が人々の心の傷をさらに深くさせていることに強い危機感を覚えました。小此木啓吾氏の問題提起が,すでに社会で深刻化していることを実感せざるを得ない状況が,身近な地域保健現場でも観察されるようになっていたのです。そうした中で,保健師が,地域社会における喪失をめぐるこころの過程への気づきを高める必要に迫られ,地域の関係者に呼びかけて発足したのが「グリーフワーク研究会」でした。以来,シンポジウムや学習会,事前調査に基づくグループミーティングの立ち上げ,冊子の発行などの事業に取り組み,2004年3月には市民グループ「グリーフワーク・かがわ」を設立,その後,事業のさらなる拡充を目的にNPO法人の認証を取得し,2009年11月19日から「特定非営利活動法人グリーフワークかがわ」として活動をしております。

大切な人との死別,これはたしかに誰にとっても深く心に刻まれる悲しみの体験でしょう。しかし,現代社会は,死別に限らず,日常的に大量かつ破局的に私たちの内面や周辺で起きている喪失に向き合い,グリーフワークのこころの過程を取り戻さなければならない時代にあると思います。今日,私たちの生活は,多くの技術革新に支えられています。科学技術の発展を,けっして否定するつもりはありません。私たちの周りには,物と情報があふれ,長距離を数時間で移動可能な交通網が張り巡らされています。いやなことは,お金さえあれば,ほとんどスイッチひとつでリセットが可能な時代です。そんな時代だからこそ,一人ひとりが,自分にとって何か失われたものはないかと,内なる声に耳を傾け,嘆きのこころの過程を回復することが求められているのです。喪失の事実を受け入れ,悲嘆の苦痛を乗り越える力は,人が本来の生き方を見いだす上で,欠かすことができません。日常的に起きている小さな喪失に伴う嘆きの感情を慈しむこと,これが私たちに自然に備わっているいのちを慈しむこころを失わないための営みではないかと思います。

グリーフワークかがわは,喪失にともなうグリーフワークという心の過程への理解が地域に根付き支援の連携が拡がっていくことを目標に活動をしております。今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。



2010年9月

グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

***新年によせて***
グリーフワークという心の旅


「ルビンの盃」という絵がある。1912年にデンマークの心理学者ルビンが「図」と「地」という言葉を使って説いた多義図形である。黒地に白い盃の絵が見える。ところが盃の両側の黒地のところに注目してみると人間の横顔が左右から向かい合っているように見える。ルビンは,意味のある形として認識する対象を「図」,背景を「地」と呼び,白い盃が浮き上がっているときはその形が「図」であり,黒地は背景(「地」)になり,黒い横顔が浮かび上がっているときはそれが「図」になり白いところが背景(「地」)になると説いた。客観的な刺激は一つの絵であるが,認識の対象によって,図であった部分は瞬間的に地に沈み込む。

  • ルビンの盃ルビンの盃

ルビンの盃の絵は視覚による図地反転の多義図形であるが,日々の暮らしの中で,心象風景として図地反転は起きているのではないか。何かに行き詰っていると感じているとき,もしかしたらひとつの「図」にばかり縛られているのかもしれない。そう考えると,このルビンの盃の絵は,心の縛りを解いてくれるきっかけになりはしないか。新たな気づきは視野をさらに広げてくれる。

グリーフワークは,人それぞれ固有の経過を辿るものである。時には深い霧の中に一人佇んでいるような不安と孤独感に襲われるときもある。失ったものは外的事象であるが,失ったものとの関係性は極めて主観的な世界であり,孤独な作業なのだ。ときには少し立ち止まり,視座を変えてみると違う風景が見えてくるかもしれない。助けになる一つの方法が体験を語る時間を作ることであろう。理解しようという意志を持ち寄り添って聴いてくれる人と,あるいは分かちあえる者同士で,語り合える時間を作ること,そうした体験のなかで,心の中で抱えていることを対象化し,自分が今見ていることや感じていることの背景に,何か見えていないこと,聴こえていないことが存在するかもしれないという広がりのある認識に変化していく。喪失体験を語ることは,失った対象と自己との関係性を読み直し,そこに新たな気づきが生まれる可能性へと道を開くだろう。

ルビンの盃に話を戻そう。「図」ばかりに意識が向いているときは,「地」が存在することさえ気づかない。しかし,地(背景)があるからこそ,図となる対象が意味を持って浮き上がってくるのだ。背景は決して主張しないけれども重要な要素なのだ。グリーフワークの過程は,立ち止まっているときにこそ,新しい風景を見つけられるのかもしれない。再生の一歩を歩みだし,そこから作っていく新しい道の造り方も,その人固有のものである。それは無限の可能性を持っている。

昨年から気になっている言葉があった。「新しい景色を見る」という言葉である。スポーツの世界だけでなくビジネスの世界でも使われるようだ。新しい景色を見るとはどういう心象風景なのだろうかとずっと気になっていた。輝かしいものでなくてもいい。勝ち取ったものでなくてもいい。一筋の光とともに,静かに見えてくる新しい景色もある。グリーフワークという過程は,新しい景色を探す心の旅といえるのではないだろうか。


2023年1月27日

認定NPO法人グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

***新年によせて***
喪失を生きる人々の声に導かれて


グリーフワークかがわは2019年にNPO法人取得10周年を迎え,昨年は,記念シンポジウムを開催することができました。これまで支えてくださったすべての方に心から感謝申し上げます。ひとつの節目を機に,グリーフワークかがわの歴史に触れておきたいと思います。

現在のロゴマークが決まったのは2005年,まだ市民グループとしての「グリーフワーク・かがわ」の時代でした。まず,私たちのミッションを明確に伝えるためにWe support Griefと表記することが決まりました。GRIEFのデザインは会員とデザイナーとの共同制作で,人と人とのつながりと独立を表しています。そして,色は青を選びました。

青という色について,日本画家の東山魁夷は「青は精神と孤独,憧憬と郷愁の色であり,悲哀と鎮静をあらわし,若い心の不安と動揺をつたえる」と述べています。東山の青を基調とした風景画はとても美しく静謐です。その東山が,青を最も美しく表現した画家としてピカソの名を挙げています。ピカソの「青の時代」は1901年から1904年頃,ピカソが20才~23才の時期です。作品は親友の自死が深く影響していると言われています。

あらためてその時代のピカソの絵を眺めてみると,病や貧困,死を主題とした絵が多い印象を受けます。抒情的で色合いは深い哀調を帯びています。しかし,そこに現れているのは絶望なのでしょうか。確かに,暗い影との境界がわからないほどの深い青墨色もありますが,緑に近い暖かみを帯びた色や,澄んだ水を連想させる色調もみられます。輝きを持つ群青もあります。東山が,青は明度や彩度の差や他の色との対照により「蒼茫とした無限の世界であることを感じる」と述べていることが腑に落ちていきます。

私たちがロゴマークの色として青を選択したのは,身近な人をなくした方のグループミーティングに参加された方の,相互の語りかけからヒントを得たものでした。悲嘆の過程において,涙を流すことは病的悲嘆ではなく自然な反応であること,私たちは自然のちからによって癒され,広い空は私たちに希望をくれること,そうした語りが心に残り,涙の色と空の色という青の選択になりました。色を研究した結果ではありませんでした。現場の声が導いてくれたといえるでしょう。青は,無数にある色の中でも,暗澹たる深い心の闇から,清々しい心のありようまでを表現できる数少ない色であると思います。

いつのころからか、気持ちが沈んだ時に「ブルーな気分になる」という表現が使われるようになりました。私たちがブルーな気分と言うとき,漆黒の闇に迷い込んでいるのではなく,いつかそこに差し込む光に希望を見出し前に進むことができる,そういう可能性を「ブルー」という言葉に込めているのではないかと想像します。こうしてみると「青」は,新しく生きる時間の始まりとも言えます。

グリーフワークについての理解が浸透し,互いに支え合える地域づくりに,近道はありません。目の前にいる人の語りに耳を傾け,その人の心の事情を理解しようとする真摯な態度を持ち続けること,そして自分の役割は何かと自問し,一つからでも実行していくこと。そういう不断の努力が心豊かな社会づくりの道だと思っています。「とにかく,現場に」と繰り返す緒方貞子さんの言葉が私たちの道を照らしています。


今年もグリーフワークかがわへのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。


*引用文献:

  • 泉に聴く 東山魁夷著  講談社文芸文庫
  • ピカソ全集1 青の時代 講談社
  • 聞き書 緒方貞子回顧録  野林健,納家政嗣編 岩波書店

2022年1月27日

認定NPO法人グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

***新年によせて***
642光年が教えてくれるもの


さそり座が東の空に姿を見せ始める。朝5時前,冬の空気は冷たく澄み切っている。紺色の空に昇ってくるその姿は夏の夜空に見せる姿とは全く違っている。サソリが地面から垂直に,ゆっくりと立ち上がってくるのだ。前の夜に輝きを放っていたオリオン座は,すでに見えなくなっている。

ギリシャ神話に登場するオリオンは生まれつき美貌と力を与えられた狩人である。冬の夜空のオリオンは,左手にライオンの毛皮を持ち,右手で棍棒を振り上げて,おうし座と闘う勇ましい姿で描かれる。自分に仕留められない獲物はいないと自慢する傲慢さは神の怒りをかい,神に置かれた一匹のサソリの毒によって命を奪われる。以来、オリオンはサソリを恐れ、サソリが現れる前に姿を隠してしまう。

串田孫一は著書「ギリシャ神話」の「はじめに」において,ギリシャ神話を教訓に利用しようなどと考える人がいたら滑稽なことである,わが身や身辺の出来事などに結び付けないで頂きたいといっている。しかしながら私は,オリオンの話は自然界における私たちの生き方に重なると思えてならない。

昨年からのコロナ禍のもとで私たちは寛容さを失った。コロナ感染に対する偏見と差別化により感染者と非感染者を分断してしまった。その結果,回復後にも感染者としての排除の烙印は消えないのではないかという不安に支配され,自分たちもそうした扱いを受けるのではないかとの恐怖を生む負の連鎖が起きている。根拠のない楽観性や気休めは,負の連鎖を解消するものではない。曖昧さはますます不安を煽り,不安になれば些細なことでも過剰に反応しやすくなる。負の連鎖は,自分たちがすべてのことをコントロールできるという驕りから生み出されたものなのではないか。病者の排除という過去の過ちから学ぶどころか,ここにきてまた同じことを繰り返している。ひとつからでいい,事実を事実として科学的根拠を丁寧に説明すること,問いかけに答えること,そのためには一人ひとりが自然への謙虚な姿勢を取り戻さなければならないと思う。

オリオン座のベテルギウスと太陽系の距離は正確にはまだわかっていないが642光年ほど離れているそうである。今私たちに見えている光は642年前の光かもしれない。星の輝きはほんとうに美しく,空は大きい。夜空を探訪することは,私たちの存在が自然界のなかで極めて小さいことに気づくと同時に,この瞬間,地球とともに今生きているという実感を蘇らせてくれる。

グリーフワークかがわは,宇宙での生活を夢見る元気な少年も参加しています。こうして宇宙に心を馳せるきっかけをくださったことを心から感謝申し上げます。

*文献:ギリシャ神話 串田孫一 ちくま文庫
星座の教科書 渡部潤一監修 宝島社

2021年1月23日

認定NPO法人グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

***新年によせて***
初心を忘るべからず


忘れられない光景がある。グリーフワークかがわになる前のグリーフワーク研究会時代のことである。2002年12月のシンポジウム以降,月に一回,事業の企画について話し合うために定例会を行っていた。シンポジウムの終了に伴い,急に会員が減り,そうしたなかで代表の役を引き継ぐことになった。私自身,参加し始めてからまだ日が浅く,不安に襲われていた。毎月少ない人数で机を囲み,話し合いを重ねた。心細さの支えになったのは,そこに集う会員の,たとえ自分一人になってもこの活動を続けるのだという一人ひとりの強い意志だった。当時の会議室とそこに射し込んでいた早春の陽射しは,私にとって行き詰ったときに必ず思い出される光景である。あのときがあったからこそ今があると思える。

その後,2003年7月に遺族支援ボランティア講座を開催し,受講者に呼び掛けて2004年3月に市民グループ「グリーフワーク・かがわ」の設立となった。いわゆる有資格者が軸となる団体ではなく,当事者本位の活動として動き始めた。自称「食堂のおばちゃん」が,試行錯誤しながら手作りでホームページを開設した。ロゴマークの色は,死別体験者の「青い空を見上げた時の空の色が勇気を与えてくれた」「安心して涙を流せるその涙の色,泣いた後に瞳に移る空の色」という語りがヒントになり,スカイブルーに決定した。「身近な人をなくされた方のグループミーティング」は参加者同士のピアカウンセリングの場となった。グリーフワークというこころの過程をようやく歩み始めた人にとって,少し前を行く人の言葉は足元を照らす灯となる。当事者の体験の語りは,人のこころを動かし,ここにグリーフワークかがわの原動力があると言える。

2009年にNPO法人格を取得して10年を経た今,10周年記念シンポジウムの企画を進めている。最初のグリーフワーク研究会の発足からは20年の道のりである。こうして振り返ると,これまでのすべての出会いに,あらためて感謝の思いが込み上げてくる。

「初心忘るべからず」には,三箇条の口伝があるという。(*)

是非の初心を忘るべからず

時々の初心を忘るべからず

老後の初心を忘るべからず

現在も一つの初心であるという自覚を持ち,芸の行き止まりを見せないで生涯を送ることを奥儀とする。世阿弥の教えである。グリーフワークかがわの初心,それは娘を事故で亡くした母親が声を上げたことがきっかけである。専門家は,グリーフワークの知識の乏しさと,自らの未熟さを思い知らされ,研究会を持つことになった。専門家も生活者であり,グリーフワークの当事者なのである。人はすべてグリーフワークの当事者である。その気づきこそが,地域でのグリーフワークの支援を根付かせていく原点である。10周年記念のシンポジウムの出会いと語りが,また新たな気づきを与えてくれるものと信じている。グリーフワークかがわの初心を確認し,またさらなる歩みをすすめていきたい。

*引用文献:風姿花伝・花鏡 世阿弥/小西甚一編訳 たちばな出版

2020年1月26日

NPO法人グリーフワークかがわ

理事長 杉山洋子

***新年によせて***
~真なる支えが行き交う地域づくりを目指して~


「故意にある一定の高さにまで注意力を緊張させようとするやいなや,すでにわれわれは,そこに提供される材料からの選択をはじめたことになる。」これは,精神分析の父といわれるフロイトが,自由連想法という精神療法の技法について述べたものである。肝腎なことはただ,聴き取られる一切の事柄に対して,“差別なく平等に漂わせる注意”を向けることだという。(*)

このことは自由連想法というひとつの技法に限ったことではなく,人のこころを理解しようとするときの原則だと思う。心の過程を理解するために必要なことは,虚心坦懐に相手の話を聴くこと,細かいことも見落とさないこと,そして批判や評価をすることなく,事実を平常心で受け止める聴き手となることである。

グリーフワークという心の過程に寄り添うとはどういうことかが話題になるとき,ともすれば,聴き手は何を言えば良いのだろうか,どのような態度をとるべきなのかといった方向に議論が傾きがちである。しかし,まず,事実として何が起きたのか,失われた人やものは何なのか,それによって語り手にとって失われた大切なものは何なのか,そして今も失われたままになっているものは何なのか,といったことを丁寧にたどって行くことが,グリーフワークの過程である。

近年,情報の過剰消費によって,喪失の事実と悲嘆は心の片隅に押しやられ,これが確かな自分だと思える生き方ができ難くなっている。こうした時代だからこそ,聴き手に求められるのは,喪失の中にあっても,残されたかけがえのないもの,回復して行くもの,そして新たに生まれつつあるものに語り手が気づけるようになるための落ち着きであろう。

私たちにとって真の支えになるのは,耳に心地よい慰めの言葉ではない。真実をともに見つめようとする誠実な聴き手の存在である。その支えがあれば,悩みや未解決な問題を抱えていても,生き抜く自分の力を信じられるようになるのではないだろうか。失ったものに代るものを与えようとしたり,別の世界に(いざな)おうしたりすることは,新しい生き方へ踏み出せるどころか,心の傷を深くするだけであろう。

母親の腕に抱かれた小さな子が,北風に顔を向けて髪をなびかせている光景が今も印象深い記憶として残っている。それは,あたかも,はじめて風を発見したかのように,全神経を集中させて風を感じ取ろうとしている表情だった。一つひとつの経験を新鮮に感じる子どもたちは,いまこの瞬間に向き合い,一日を丁寧に生きる大切さを教えてくれる。


*引用文献:ジークムント・フロイト 著 小此木啓吾 訳
分析医に対する分析治療上の注意(1912年)
フロイト著作集第9巻1983年 人文書院


2019年2月3日

NPO法人グリーフワークかがわ
理事長  杉山洋子

***新年によせて***
大寒に思う~名人は人に問う~


二十四節気のひとつ大寒を迎えました。二十四節気は,太陰暦を使用していた時代,中国で季節を現すための工夫として考え出されたものです。日本では,日本の気候に合わせるためにさらに区分けが加えられています。私たちは長い歴史のなかで育まれてきた文化に支えられて生きています。季節の区切りを決めるために,人々はどのような知恵を出し合い,どのように意見を交わしてきたのでしょうか。暦のうえの大寒という文字を見てあらためて思うことです。

ある会議に出席したときのことです。出席者の一人がこんなことを言われました。

話し合いの場で,突拍子もない意見を述べる人がいる。とても実現は無理だと思うことは,議論しても時間の無駄になるだけなので,上席者としての責任で,無理だと言うことにしてきた。そうした中で,次第に,特に若い人たちからの発言が減り,指示待ちの姿勢が目立つようになった。ある時,部下の発想に対して,そこに至った経緯を詳しく聴かせてほしいと尋ねる機会があった。聞くと,とても実現不可能だと思っていたことであったが,解決を可能にする埋もれたヒントが浮かび上がってくることに気がついた。実現が無理だと思ったのは,限られた自分の経験の枠組みでの判断に過ぎなかった。率直な意見を発言できる環境を作ることが上司の役割であることに気づかされる機会になった。

何か事業を始めようとするとき,担当者で事前に議論を重ね,方針やスケジュールなどを固めます。この段階で,あらためて関係者に説明を行ない,そこでも質疑や意見交換が行われます。反対意見や盲点を突いた意見が出されることもあれば,事業計画の根本的な練り直しを求められることもあるでしょう。担当者にとっては自己評価が傷つく場面もあります。しかし,緊張感のある議論は,それだけ関係者が真剣に課題に向き合っている証でもあります。大切なことは,あらかじめ用意された結論に議論を導くことではなく,議論によって新たな気づきがもたらされることです。

傾聴とは,ただ相槌を打って人の話を聴くことではありません。相手の心の事情を真剣に理解しようとするとき,聞き手には,ここのところをもっと知りたいという思いが起きてくるものです。グリーフワークという心の過程に寄り添うためには,問いかけることがとても大切なことがあります。

「名人は人に問う」と言われます。あらためて「問」の一字を心に刻み,一年の計に臨みたいと考えております。

2018年1月20日

認定NPO法人 グリーフワークかがわ
理事長 杉山洋子

***新年によせて***
子どもたちがのびやかでいられるために


年の初め,自然は私たちに穏やかな天候を与えてくれました。一方,人間が作る環境は,決して穏やかとは言えない日々が続いています。不満,偏見に満ちた攻撃的な言動,ときには犯罪場面がそのまま動画で繰り返される現状があります。こうした環境を,幼い子どもたちはどう体験しているでしょう。社会に信頼を築くことが難しくなっているのではないかと案じられてなりません。

子どもたちが家族との死別によってどのような影響を受けるかについて研究が行われていますが,忘れてならないのは,死別だけでない,いまそこに起きているかもしれない喪失です。リンダ・ゴールドマンは,声に出したくても言葉にならない子どもの訴えに気づき耳を傾ける必要があると述べ,現代社会の子どもたちの未来の喪失を危惧しています。著書のなかで,子どもたちは暴力や虐待を直接体験していなくても,情報を通して見たり聞いたりするうちに,このようなことが現実に自分にも起こるかもしれないと思うようになると述べています。子どもたちを支えるために,私たちは社会や環境を変えていくことが必要です。

成熟した社会を築くためには一人ひとりの健全な自己愛の成長が問われます。本来,嫌悪し攻撃すべきことは,実は自分の中にあるのだが,他者にあるものとして嫌悪し攻撃している,この未熟性に気づき自らの罪悪感と向き合うことが健全な自己愛の成長をもたらします。葛藤に耐える心が養われるなかで,自らが手にしている恩恵に気づき感謝が生まれます。

生きていく中で避けて通れない喪失があり,成長過程で厳しい時間を過ごすこともあります。試練を乗り越えて行けるのは,真摯に生きる役割モデルを得,希望を失っていないからです。未来への信頼がないところには,希望はありません。私たちは,子どもの未来を不信に満ちたものにしてはなりません。

この原稿を書いている今,外は時おり雪が舞い,木をしならせる風の音が聞えます。 そんななか,子どもの声が聞えています。「ゆーきやこんこ あーられやこんこ」お母さんが待つ家に,スキップしながら帰っていくようです。子どもがのびやかに羽ばたいていける,そんな地域づくりのためにこれからも貢献していきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

*引用文献 リンダ・ゴールドマン 著
天貝由美子 訳
子どもの喪失と悲しみをいやすガイド―生きること・失うこと―
創元社 2011年

2017年1月22日

認定NPO法人 グリーフワークかがわ
理事長 杉山洋子

***新年によせて***
ゆっくりでいい,対話から始めよう


厳しい冷え込みの朝,東の空から射してくる太陽の光のなんと温かいことか。霜の降りた土に優しく降り注ぐ。悴む手が陽射しを受けて緊張が緩み,凍りついた心が解け始める瞬間とイメージが重なる。風花が舞うなかで見つけたちいさな花芽はグリーフワークの過程の始まりを連想する。

柳田邦男氏は,人がグリーフワークを進める上で役立つ営みのひとつとして,語ることや手紙を書くこと,短歌や俳句で表現するなど,何らかの形で自分の内面を表現することに大きな意味があると述べている。表現することは,他者に何かを伝えるだけでなく,自己の内面を見つめ,次のステップに向かう扉を探すことでもある。これが,グリーフワークの第1歩になるのだという。言葉による表現は,人それぞれの文脈で自分史を物語ることである。心の中の混沌とした塊を蚕の繭にたとえ,言葉で表現することはその繭から一本の糸を紡ぎだす作業に似ているという。(*)

人はだれでも一生の中で深刻な喪失を幾度か経験する。すべてのケースに専門家の援助が必要であるわけではなく,また悲嘆のあるところに必ずしも危機があるわけでもない。しかし,援助を求めている人には,いくつかの選択肢が用意されていることが必要である。その一つとして対話という環境を提供すること,それが地域社会の役割である。私たちは,喪失と悲嘆の中にある人を理解しようと強い意志を持てる仲間でありたい。

このたび,認定NPO法人の認定を受けたことを記念しシンポジウムを開催いたします。基調講演の講師として,ケア集団ハートビート代表飯島惠道氏を招聘することになりました。一昨年9月に交流会を開催した折に,長野県の地形の紹介から始まり,地域の特徴,行政の考え方が紹介され,関係者や社会資源と協働し活動領域を切り開いていかれる姿勢に感銘を受けました。私たちは自分が暮らす地域のことを,どれだけ知っているだろうかと顧みるきっかけにもなりました。今回は,シンポジウムの前夜に会員研修の時間も割いていただけます。「対話をわが地域での『死別ケアの基盤整備』に繋げたい」と述べておられる飯島さんとの対話の中からまた新たな気づきがあるに違いないと信じています。

*引用文献:高木慶子,上智大学グリーフケア研究所,柳田邦男編
<悲嘆>と向き合い,ケアする社会をめざして 2013年 平凡社

2016年1月26日

認定NPO法人 グリーフワークかがわ
理事長 杉山洋子

***新年によせて***
喪失と悲嘆の語り~忘れないためでもなく,忘れるためでもなく~


「もう忘れなさいと家族から言われるのに忘れられない」,「忘れたはずなのに涙が出る」,「忘れようとす る私は冷たい人間でしょうか」グリーフワークの過程において「忘れる」を巡って苦悩する姿がある。相談場面だけでなく,啓発活動の場面でも「忘れる」について議論になることがある。John.H. Harveyらは,誰もが語るべき喪失のストーリーを持っており,自分のストーリーを自分のものとして語る力を持ち,記憶を抱きしめる(Embracing Their Memory)ことで喪失に順応すると述べている。重大な喪失はそのひとのアイデンティティに深刻な影響を与えるものであり,喪失について打ち明け,語ることが,自分の新しいアイデンティティを理解し重大な喪失に伴う人生の環境の変化へと適応しやすくなるという(引用文献*)。

喪失体験を何度も語ることはいわゆる繰り返しではない。時間をかけて新しいストーリーに書きなおしていく創造的な過程である。社会の中で,語る場をどう作っていくかが課題である。必要なことは,グリーフワークへの理解を深めるための努力であろう。

いま,来年度に向けて公開セミナーの企画の再検討を行い,普及啓発の方法や人材育成のあり方を議論している。グリーフワークを理解するためには概念の解説に留まってはならない。対話と演習を重ね,地域で活動する関係者とどう繋がっていくかが鍵になる。企画を練る時間を惜しまず私たちの使命を果たしたい。

私たちは生活のさまざまな場面でいろいろな役割を引き受けて生きている。喪失は折り重なるように起き る。死別だけでなく人それぞれの事情による喪失とそれぞれの悲嘆の姿がある。喪失と悲嘆に寄り添い,その人のストーリーに新しいアイデンティティを発見していく過程の立会人となれる人の輪が広がり,互いに支え合える社会づくり,それが私たちの目指すところだ。グリーフワークとは,「忘れること」でも「忘れないこと」でもないという理解が浸透していくことを目指したい。早く忘れるようにとせかされて傷つく人を一人でも減らし,語る機会が閉じられないようにしたいと思う。


今年もグリーフワークかがわへのご支援をよろしくお願い申し上げます。

*引用文献:ロバート・A・ニーマイヤー編,
富田拓郎,菊池安希子 監訳
喪失と悲嘆の心理療法―構成主義からみた意味の探求― 2007年

2015年1月20日

NPO法人 グリーフワークかがわ
理事長 杉山洋子

あなたはどういう街に暮らしたいですか


今年は午の年です。幼いころ,荷車を牽いた馬が歩いてくるのを見るのが楽しみでした。私にとっての馬の原光景は,飛躍する馬ではなく,飾りをつけた馬でもなく,人といっしょに歩いていく姿です。いまではその風景はなくなってしまったけれども,私のなかで,心象としてくっきりと浮き上がってきます。毎日,同じ時刻に蹄の音を響かせて,夕暮れの街をゆっくりと歩いて行きました。「また,あしたね」と手を振りながら,その日の終わりを穏やかな安心感のなかで過ごせた思い出です。

1995年,阪神淡路大震災が起き,その後もいくつもの大規模災害があり,2011年には東日本大震災が起きました。そのたびに私たちは,危機から再生に向かうための課題は何かを学んだはずでした。しかし,私たちはほんとうに過去の経験から学ぼうとしてきているのでしょうか。昨年末に示された国のエネルギー基本計画案は,十分な検証と議論が尽くされているだろうか,なし崩し的に福島第一原発事故以前への回帰を目指してはいないだろうか。そのこと以前に,一つ間違えばすべてを破壊する兵器を生むエネルギー源を欲したのは我々自身ではなかったか。そのことを顧みることなく「原発反対か賛成か」という二者択一で問題の解決を図ろうとすることは,過去から学ぶどころか,そもそも私たちが引き起こしたともいえる大惨事をなかったことにして突き進む傲慢ともいえるやり方に見えてなりません。

デフレ脱却,景気回復,7年後の東京オリンピックに向けてという文字が躍る新聞を,空しさのような感覚を覚えながら眺めていましたが,社説や,生活・文化の欄,読者からの投稿欄を読むうちに,私たちの価値観をもう一度問い直そうとする記事が目に留まるようになりました。使い捨てを美徳としてきたことを恥じ,何が真理であるか,世の中は気づき始めているという記事でした。学びとは,暮らしの中で情報への感度を高めておき,ふとしたときに感じる感動や疑問をたいせつにすることだと思います。なにげない日常の一場面を採り上げた投稿欄や近所の人とのふれあいを綴った子どもたちの作文のなかに,社会のあるべき形が示されているように思います。

一人ひとりの学びの姿勢は,私たちが暮らしたい地域社会の設計図を描き,ひいては,人々が求めている社会を守るために,政治的経済的圧力にも屈しない,厳格ともいえる目標の礎となるのではないでしょうか。「ふつうの人びと」の心のなかにこそ,危機と向き合い再生の道を歩み始めるための種があり,それは決して侵されてはならない権利であると同時に,私たちは「釈然としないこと」をやり過ごしてはならない責任があるのだと思います。

人は季節の移ろいを身体で感じ,風の流れや雲の形から天候を予想する力を得てきました。人の心の動きや意図を感じ取ろうとする力が磨かれてきました。その力を,デジタル化された大量の情報のかげに眠らせてしまったのかもしれません。自分が,暮らしたい社会はどういう社会なのかを問い続けていくこと,そしてその実現のために,まず自分たちの感知力を信じ,考える力と発信できる力を動員し目標を追及し続けることが,将来への希望に繋がることだと思います。そうした取り組みは,決して一朝一夕に成果が測れるものではありません。時間を惜しまず,積み重ねていくこと以外に道はありません。人と人とのつながりのなかにグリーフワークという心の過程が行き交う地域づくりも,私たち一人ひとりの日常的に起きている喪失に伴う心の嘆きに耳を澄ませることから始まります

グリーフワークかがわは,今年も一歩ずつ「地域でグリーフワークを」を目標に進んでまいります。ご支援をよろしくお願い申し上げます。



2014年1月28日

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

***新年に思う***


「優先座席」を設置しなければならない社会であることを悲しいと思う。座席はもともと譲りあうものである。私たちの社会は,「席を譲られる人」と「席を譲る人」という人と人との固定化した関係を作ってしまっているかのように思える。こうした現象は,人それぞれの自発的意思のもとに行われるはずの互助の精神には程遠く,私たちの地域社会で何らかのトラブルや問題が起こりやすくなっていることを前提として,事前に責任の所在を人と人との間に組み込んでおこうとする目に見えない第三者の事なかれ主義以外の何ものでもない。

人はストレスがかかったときに,特定の誰かのせいにすることで,集団のバランスを維持しようとする方向へ振れてしまう危うさをつねに有している。パワーハラスメント,虐待,体罰,いじめなどの社会問題が起きるたびに,家庭,学校,職場などの中に,責めを負うべき特定の「誰か」の犯人探しが繰り返される。これも人と人との固定化した関係といえよう。マスメディアと地域社会が演出する謝罪会見場面が終われば,本当は何が問題だったのかという肝心なことへの人々の関心は急速に薄れて行く。スケープゴーティングは,人々の心に深い闇の世界を残していく。誰かに期待したり誰かのせいにすることではなく,一人ひとりが自分の内なる声と向き合うことに立ち戻らなければならないと思う。

座席を譲る人になることもできれば,譲られる人にもなることもできる社会は,私たちが,あるときは相談する人にもなれば,あるときは相談される人にもなれる社会でもある。私たちが目指すところは,人と人とのつながりに,グリーフワークという心の過程が行き交う地域づくりである。人は誰も与えられた時を生きるなかで苦難や別れを経験し,悲しみに打ちひしがれ,二度と立ち上がれないのではないかと思ってしまうことさえある。喪失に伴う痛みの記憶は人生の歴史に刻まれて行く。それでも,人は,希望に向けて再び歩みを進めることができる心の過程のなかに生きていると信じたい。

グリーフワークが地域に浸透して行くには,気が遠くなるほどの時間とエネルギーを要することかもしれない。葉の先から滴る雫が,乾いた大地に一筋の流れをつくり,それがどこかで別の芽吹きを促していくがごとくである。しかし,グリーフワークへの理解が,人々の心の再生を助けるものでありいのちを慈しむことであるという確信が,長い道のりを支えてくれる。一人ひとりの哀しみに,心を寄せて取り組むことを大切にしていきたい。


グリーフワークかがわの活動へのご支援を,これからもよろしくお願い申し上げます。



2013年1月25日

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

新しい年を迎えました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


今年も日本伝統工芸展を鑑賞しました。漆芸,金工,陶芸,人形,染色,作品の一つひとつをゆっくり眺めていきました。目の前にあるものは完成された作品です。でも,例えば,細い竹で編み込まれた花籠ひとつにしても,最初の 1本から編み始めてきたはずです。ていねいに編み込んでいく作者の姿を想像し,技を伝承してきた歴史と,材料が自然のなかで育ってきた時間に思いを巡らせました。一目ずつ編み,紋様を造り上げていく過程は,ひとそれぞれの人生を象徴しているようにも思えました。より速く,より大きく,より効率的にと走り過ぎてきて時代のなかで,私たちがどこかに置き忘れてきたたいせつなものが,ここにあると思いました。

困難な問題を抱えたとき,なにも手立てがなく一歩も進めないような気持になることがあります。しかしそんなときも,またここから,自分の人生の紋様をふたたび造り始められる可能性が,どのひとにも内在しているのだと思います。苦悩の体験を忘れさせようとすることがそのひとを勇気づけることではなく,ましてや,死にたいほど苦しいという気持ちを「そんなことは考えるな」と打ち消すことや,根拠のない空なぐさめで奮い立たせようとすることは,逆にその人の生き方を否定してしまうでしょう。

私たちは,一人ひとりの喪失体験とグリーフワークを,急がせることなく,そのひとのペースで再生の道を歩み始める過程に寄り添えればと思います。そしてグリーフワークに寄り添える地域づくりのために,互いに学びあえる場をこれからも提供していきたいと考えています。グリーフワークかがわの活動へのご理解とご支援を,これからもよろしくお願い申し上げます。



2012年1月25日

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

グリーフワークかがわ2011年度のはじめにあたり


東日本大地震の発生から一月が過ぎました。テレビや新聞では,いまなお生々しい被災現場の光景と困難を極める支援の様子が映し出されています。被災地から遠く離れた私たちの身近なところでも,被災者支援や復興支援に向けて慌しい人の動きが見られます。一日に何度も余震の速報が入ってくるのを見聞きするにつけ,被災者の方々が,一日も早く落ち着きを取りもどされ,生活の再建に向けて着実な歩みを重ねていかれることを願わずにはいられません。

今回の震災では,原子力発電所の被災は,大きな被害と不安をもたらしました。事態の早い終息が望まれます。しかし,今回のできごとは,これまでのモノやエネルギーの供給と消費のあり方を考え直す機会にもなりました。昨日よりも今日,今日よりも明日と,より豊かでいたいという欲求は,人々の英知の源泉でもあり,技術革新は,私たちに多大な恩恵をもたらしました。一方,運転手一人しか乗らない車で大気汚染や交通渋滞を引き起こし,日々大量に消費される紙は森林破壊をもたらし,溢れるほどの商品が並ぶ量販店は深夜まで買い手を待って煌々と明かりがともります。私たちは貪欲にモノとエネルギーを求め,飽くなき消費を繰り返す中で,規範意識が薄れつつあることも事実です。私たちがこのたびの震災から学ぶとことがあるとすれば,自ら進んで慎むこと,すなわち真の「自粛」とは何かと問い直すことではないでしょうか。そのための変化にともなう喪失と向き合うために,私たち一人ひとりの心の作業が求められているといえるでしょう。

私たちの行く手を照らしてくれる指針として,当会発行の冊子「喪失を克服するためのハンドブック」にも引用されているラインホールド・ニーバーの言葉をご紹介いたします。


神様,私たちにお与え下さい。
変えられないものをそのまま受け入れる冷静さと,
変えられるものを変える勇気を。
そして,変えることのできるものと,変えることのできないものを見分けるための知恵を。


グリーフワークかがわは,2011年度は,喪失とグリーフワークの啓発事業として定例会の開催を,そして人材養成事業としてヘルプラインカウンセラー養成講座を企画しています。また,心の危機にある人へのサポートネットワークのひとつとして,電話相談の開設も準備中です。喪失をめぐる心の危機にある人への支援は,当法人の使命であり,中心的事業でもあることは,いうまでもありません。今年度も,認定グリーフカウンセラーに対する継続的な研修など,人材育成を主要課題として取り組んで行く考えです。



2011年4月11日

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

新年おめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


2010年の暮れ,シンポジウムに参加してくださった方とお会いする機会がありました。「またシンポジウムをやってくださいね」という言葉をお聴きしたとき,企画を進めてきたことが,確かにこれでよかったのだという手ごたえと同時に,そんなに簡単にできるものではないよという思いが一瞬交錯しました。そのとき,ふと思ったのが,グリーフワークへの思いを形にするとはいったいどういうことだろうということでした。

グリーフワークへの理解が,地域に浸透する方法として,シンポジウム,学習会はもちろん貴重な機会です。新聞をはじめマスメディアは,当会の活動を広く紹介していくためには大切なツールです。しかし,これまでそれだけに頼りすぎていなかっただろうか。私たち一人ひとり,いますぐにでもできることに,意外と気づいていないのかもしれないと自問しました。

例えば,地元のコミュニティセンターにでかけ,当会のブロシュールを置かせていただけませんかとお願いしてみるとしましょう。もしそこで「グリーフワークって何ですか?」と尋ねられ,グリーフワークをめぐる対話が生まれたとしたら,グリーフワークへの思いを形にするという活動の第一歩を踏み出しているのだと思います。教える・教えられる関係でなく,私はこう思うのだけどと自分の言葉で語ってみること,喪失について話し合ってみること,NPOの活動は,地域でのこういう一歩一歩の積み重ねから,形になっていくのだと思います。

会員のみなさま,今年もいますぐ私たちにできることを大切にして,グリーフワークかがわの活動を積み重ねてまいりましょう。



2011年1月

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

新年に寄せて


妹が見し 楝の花は散りぬべし

わが泣く涙いまだ干なくに  山上憶良(万葉集巻五 七九八)


妻が見たあふちの花は奈良でもきっと散ってしまったでしょう。

妻を失って私の涙はまだ乾きもしないのに。


楝(あふち)の花を愛でながら他界した妻を偲び、散り行く花を見て、この作者は、亡くなった妻を偲ばせてくれるものがなにもかも消えてしまうのではないかという悲しみを詠んでいます。悲しみを歌にのせて表現することは、悲しみを避けずにさまざまな思いを抱えようとする試みのひとつであり、昔から日本の文化として育まれてきました。おそらくこの作者も、歌を詠むという文化に支えられ、喪失をめぐるさまざまな感情を味わい、決してすべてのことが消えてしまうのではないことを知り、しみじみと哀悼される時期に移って行ったのではないかと、私は想像しています。

私たちは、大切な人やものを失ったとき、そのひとに合った方法で悲嘆の過程を辿り、人生に新たな意味を見いだしていきます。グリーフワークとはなんだろう。折に触れて問いかけてゆくことは、人がその過程を通るために支えとした知恵に気づき、同時に私たちが何をすべきかを知る機会となります。


新しい年になりました。グリーフワークかがわは、積極性と慎み深さとしなやかさを備える法人としての健康さをたいせつにすることを心して、活動を進めてまいりたいと思います。

NPO法人設立記念事業の企画に関連して文献を探しているとき「スタッフのメンタルヘルス」という言葉が目に留まりました。(「チーム医療とカンファレンス」成田善弘著 心と身体の精神療法 1996 金剛出版)みなさまはどのような健康法をお持ちでしょうか。健康法も、一人ひとり、その人に合うペースがあるようです。私は万歩計を新調しました。1万歩を超えると、画面のなかでバンザイをしてくれます。万歩計であっても、ほめてくれるとうれしいものです。

ぜひみなさまも健康に留意され、グリーフワークかがわとしての社会貢献をともに進めてまいりましょう。どうぞよろしくお願い申し上げます。

文献 万葉集(上)対訳古典シリーズ 旺文社1988年
万葉花 植物編 ニッポン・リプロ発行2006年



2010年1月

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

2009年の終りに感謝を込めて


職を退かれる方のお話をお聴きすることがあります。事情や背景はそれぞれ違っています。定年まで年数を残して退職を決められた方が、周囲からは家族の介護なら休暇制度を使えばいいと勧められるが、そんな単純なことではないのだと話をしておられたことがあります。ひとつの側面だけでない、その方のグリーフワークが、そこにあります。定年を迎えようとする方も、一人ひとりのグリーフワークを通ります。定年は「定年」と書くように、定められた年で、若いころから知っているはずのことであっても、知っていることと体験することとは違うことだと気づきます。ときにはもがき苦しみ、自死という選択のすれすれのところで苦悩する悲嘆の姿もあります。

ひとつのことを手放すときの、そのひとの心の内をお聴きするとき、じーっと次の言葉を待っていると、必ずその人の内側からの言葉がでてきます。「次の言葉」までの時間は、一人ひとり違っています。何か月単位のこともあります。何年単位のこともあります。しかし、いま悩むことができるのは、健康的な過程でもありましょう。

暮らしの中で、私たちはさまざまな喪失を体験します。死別の悲しみは、それ以上の苦悩はないほどの深く苦しい体験かもしれないけれども、私たちは生活のなかで体験するさまざまな局面でのグリーフワークを、決して忘れてはならないと思います。新しいことを自分で探して自分で望んで、そして自分で選択したことであっても、その先に見えるのは、真っ白な希望ではなく、どこか寂しさを連れ添っています。そのことを識ることに、人間としての成熟があるのだと思います。

人間が万能であるかのような幻想が拡がる現代社会であるからこそ、喪失という経験を、振り切るように前に前にと進んでいくのではなく、悲しみを悲しめる、人間の自然なちからを埋もれさせないように、なにをすべきか、どう進めばいいか、これからも考え、行動していくことがグリーフワークかがわの行く道であると考えています。

グリーフワーク研究会としてスタートしてから10年目の今年、グリーフワークかがわはNPO法人としての歩みを始めました。たとえばひとつの事業が、決して大きな花火で終わってはなりません。必ず次につながる地道な事業を企画していくこと、グリーフワーク研究会の時代から守ってきた方針を、これからも継承してまいります。今年一年間ほんとうにお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

みなさまにとって迎える年がよい年となりますようにお祈り申し上げます。



2009年12月

NPO法人 グリーフワークかがわ理事長

杉山洋子

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